個人セラピーでも、コンステレーションのワークショップでも、
同じ課題が繰り返し現れてくることがあります。
つまりは、日本中の非常に多くの家庭で起きていることだと判断します。
ここ2年ほどの間で、繰り返し現れてきていること。
〇感情と思考がかけ離れている。
思考優位になっていて、心がどこかに行ってしまっている。
〇相手の行動は見ていても、社会的観点から見ていても、
心を見ていない。見ることができない。
⇓よって、
〇それが、お母さんの場合、
家庭の中にお母さんがいるのに、いない。
お子さんの目に、お母さんが見えているようで見えない。
〇カップルや夫婦の場合、
一番大事な感情が見失われ、思考で相手をジャッジして、
喧嘩が絶えない、もしくは互いの心が離れてしまう。
〇狂気の渦に飲み込まれてしまい、
イライラや怒りが止められない。
※多く現れている状況ですが、こればかりではありません
思考と感情がかけ離れてしまっているのは、
全人類共通の課題とも言われています。
COCORISE内では、心が不在の背景も、
共通点が見えてきています。
そこには必ず、その人の「愛」が存在しています。
実はとても愛情深いのです。
器も大きいのです。
ただ、流れるべき愛の方向性ではないほうに、
力を尽くして注いでしまっているのです。
全くもって無意識に、
心が別の場所に引き寄せられてしまっているのです。
それゆえに、お子さんたちは、お母さんを
求めているのに、心で応えてもらえない。
求めたこととは、違う反応がくるから、
だんだん、お母さんが見えなくなってくる。
心不在で、人形のような機械のような人に、
触れられても、声をかけられても、
血が通っている感じがしない。。。
すると、お子さんの内側に広がるのは、
諦めと悲しさ、
お母さんに対し、閉ざされた「無」の感覚。
決してお母さんを恨んでもいないし、
嫌いでもないけれど、
ただ、「無」になっていく。
お母さんの心が見えないと、
自分の心までも見失うものかもしれません。
そして、そのまま成長し・・・
自分が「無」だと、社会の情報や思考に振り回されやすくなり・・・
自分のものではない思考や感情に飲み込まれていき・・・・
大人になり、それが代々、繰り返されているのかもしれません。
COCORISEでは、その課題に対して、
どのようなサポートがベストなのか、模索し続けてきたのですが、
先日の個人セラピー2セッションで、一筋の強い光が見えました。
2セッションなので、私を含め3名が揃うため、
プチコンステレーションをおこなうことができ、
心を取り戻していく一連のプロセスが、
初めて展開されたのです。
2月に行われたコンステレーションの続きのようなストーリーでした。
あるがままの現実を見ることは、簡単に見えて難しい作業です。
そんな中、真正面から目をそらさず真っ直ぐに受け止め、
さらに、2セッションでプロセスを進めていく
彼女の勇気と真っすぐな想いと、続けてお越し下さる力が、
新たな展開を引き起こし、自ら心を取り戻していくのだと、
感動で、震えました。
心が戻っていくときの、無機質な感じから
温かみと重みある存在に変化していくリアルさ。
忘れられません。
おそらく、彼女と娘さんの関係性も、
ここから変容していくでしょう。
そして、お越し下さる方々の内なる鍵が、
開き始めるような気もしています。
もちろん、それぞれのプロセスが必要ですが、
加速化するかもしれません。
集合無意識は繋がっています。
彼女だけではなく、COCORISEにお越し続けてくださる人たちは、
本当にピュアな勇者であり、多くの人たちの鍵を開ける光だと、
度々思い出しては胸が熱くなるほど、
頭が下がる想いです。
大勢でのコンステレーションに抵抗のある方、
ご自身のテーマのプロセスをさらに進めていきたい方は、
2セッションをご利用ください。
ご希望をお知らせ頂ければ、セッティングしていきます。
※個人セラピー2セッションの詳細はこちら
「今日は腹が立ってる」
と、母からの電話。
弟家族と同居している80歳の母は、
フルで働いているお嫁さんの代わりに、
家族の食事を作っているのですが、
(春休みは、夕ご飯だけではなく
お昼ご飯も作らないといけないから、
それが本当に大変だと、よく愚痴をこぼしていて)
ある日、
ラーメンに唐揚げをトッピングしたことに対して、
今度高校生になる孫が文句を言ってきたらしいのです。
母が言うには、それも、その時に言うのではなく、数日後に、
父親(私の弟で、母にとっては息子)がいるところで言い、
さらには、弟は母の肩を持つのではなく、
「唐揚げをラーメンに入れるなんて信じられん」
と、2人で母を批判したことが、ショックだったらしく、
「こんなに頑張っているのに、
感謝どころか、あんなこと言われて、
ほんと、なんていうか、情けないよ」
と嘆き、怒っているのです。
そのやりきれなさは、毎日の食事作りで
へとへとになっているからこそで、
痛いほどわかります。
言った側からすると些細なことかもしれないけれど、
疲れ切っていながら、頑張っている母には、
爆弾級に響くものです。
このワンシーンだけを切り取ると、
本当に80歳もなって、母が気の毒だし、
なんとかならないものかと、毎回思います。
ただ、
もっと俯瞰から見ると、
「こんなにやってあげているのに、
通じない、感謝もない」
「気持ちをわかってもらえない」
と嘆くその背景も、見えてくるのです。
母の見ている世界と、良かれと思っての行為も、
孫たちが生きている、望む世界が、
全く繋がっていないのです。
母も又、孫たちが心を閉ざすような
言葉を発することがあり、
「アドバイスしてあげないと、間違うでしょ」
と、その思い込みを疑わず、
良かれと思っている言葉かけなのでしょうが、
疲れから仕方なく出てしまう態度でしょうが、
その積み重ねによって、
心の距離ができてしまっている気もします。
そして、まるで生きている層が違うかのように、
交わらなくなりつつある感じがしています。
どちらも精一杯日々を頑張り続けているがゆえに、
どちらも致し方なく、壁を作るしかないようで、
この状況が、ただただ、切ない。
こんなに時を重ねてきて、力を注いできているのに、
もったいなく、切ない事態になってしまっていると、
思うのです。
母は、私に共感を求めているし、
もちろん、共感しながら話を聴くのですが、
気を付けないと、
母の信念体系を強固にしてしまい、
母のいる層と、弟家族のいる層をさらに、遠く離してしまい、
結果的に母が孤独になる可能性があるので、
層をつなぐ経路を探しつつ、聴いています。
そこに、自ら気づくことができたなら、
自分の層から出ることができたなら、
再び、交わっていけるのではないかと、願いながら。
今の世の中は、「思考戦争」が起きていると言われています。
情報戦略の渦の中で、
営業戦略や、正義の仮面をかぶった攻撃、
説得力を駆使した信念ストーリー・・・
氾濫するそれらに飲み込まれ、
グルグルと振り回され、
思考が乗っ取られて、
自分の信念だと、価値観だと、圧倒的正義だと
勘違いしたままに
自分を見失っていくのかもしれません。
いろんな手法で、大波が次々とやってきて、
ミサイルが放たれ続けるこの世界で、
溺れる前に、
流されてどこを漂っているかわからなくなる前に、
怒りや恐怖でいっぱいになる前に、
自分の思考で、自分を蝕む前に、
身動きが取れなくなる前に、
自分と繋がっていることが重要だと感じています。
シンプルで温かい、光のほうを向いている
自分の本当の感覚と。
今日、カウンセリングについて、初めての方から、
お電話でお問合せ頂いたのですが、
お話ししている最中に、携帯の充電切れが起き、
(昨日の午後と本日の午前中、久しぶりのオフで気が抜けてました)
途中で電話が切れてしまいました。
焦って充電し、(これが又、時間がかかり)
電話をかけ直そうとしたのですが、
お電話いただいた通話履歴が残っていない。
なぜ?と、ググってみると、
iPhoneはそうらしいとあるだけで、解決法は見当たらず、
ご連絡がとれない状態となってしまいました。
繋がる方法が見当たらないので、
ここに、書いてみました。
勇気を出してお問い合わせしてくださったのに、
私のうっかりがしでかしてしまい、心痛みます。
もし、このblogを読んでくださったなら、
またご連絡頂ければ嬉しい限りです。
夫に、「うっかり八兵衛」と言われるのも、
致し方ないと、久しぶりにどっと落ち込んだ一日でした。
2日間で開催されるコンステレーションには、
ストーリーがあります。
複数の作者による独立した短編を
ひとつにまとめたオムニバスドラマのように、
主人公も内容も違いますが、
共通のテーマが、奥底に何層にもなって流れ、
展開しているのです。
ただ、作者の意図が入る映画やドラマとは異なり、
ファシリテーターの意図も
参加されている誰かの意図も入ることはなく
場の力によって
あるがままが展開されていきます。
そこから現れてきたことは
その場にいる方々への
大いなるギフトだと思います。
その場にいる方々だけではなく
家族へのギフトであり
集合無意識的にいえば
多くの人々へのギフトにもなっているように
思います。
だからこそ、
この深層に流れている
大いなるギフトの意味を
つかみとっていく必要があると思っています。
ひとつのコンステレーションのなかで
見えてくるもの
連続したテーマとして見えてくるもの。
多彩な角度からの気づきが大きすぎて
受け止めていくのに時間がかかるかもしれません。
でも、確実に深層部が動いていきます。
生きづらさや
抱えている問題や
手に余る感情
それらを紐解く鍵は、
意外なところにあり
これまでの常識や、
信じてきたものを覆されることもあります。
しばらくは抵抗が起き、
受け入れられないこともあるでしょう。
それでも、
全体像を見ていけるようになると
本当に大事なものに気づき
自分や家族を縛っているものから
解き放たれ
自分を生きていけると思うのです。
大事な人を大事にしていけると思うのです。
もたらされるギフトを
全身全霊で受け止められるようになると
とてもつもなく
大きな変容が起きるように思うのです。
自分が自分をファシリテートしていくための
心理講座とコンステレーションを
2024年度春からも、cocoriseでは進めてまいります。
Paypayが使えるようになりました。
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