自分のコンステレーションを受けて、
見えてきた事実。
母は、痛みを見ない代わりに、
怒っていたようです。
見れない背景があります。
だから、私が
母の痛みを
代わりに見てきたのだと、
10年前のコンステレーションから
わかってはいたことですが、
その続きのような展開を
先日東京で体験しました。
子どもの頃から
私にとっての母の存在は、
それほど近いものではありませんでした。
母は常に忙しかったし、
夜、母の膝の上には弟がいたし、
私はおじいちゃん子だったので、
母を求めた記憶はあまりないのです。
なのに、
こんなにも母の気持ちを吸い込んで
こんなにも母の代わりに
母の様々な感情を引き受けてきたのだと
10年前からわかっていたことであるのですが、
再現されると、再び愕然とします。
cocoriseでおこなわれている
コンステレーションでも、
つくづく
子どもの親への愛は、盲目なほどに
大きいと思います。
切ないほどに。
愛ゆえに
親の代わりに
家族の代わりに
引き受けているのです。
それでも愛は
下から上
子どもから親へ
ではなく
上から下
親から子へ
流れるべきでなのです。
どうか
多くの家庭で
流れるべき方向に
愛が流れ始めますように。
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